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●東京都美術館ミュージアムショップ限定オリジナルグッズ、数量限定品
作品:三代目大谷鬼次の江戸兵衛
サイズ:2×11㎝ 重さ9g
素材:アルミ
made in Japan
体温が伝わりやすいアルミ製のスプーン
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くすっと笑ってしまう、浮世絵アイススプーン。
誰かに教えてくなるような、夏のオススメミュージアムグッズでありながら、日常使いができる便利アイテムです。
スプーンの材質であるアルミは、鉄の約3倍の熱伝導率をもつとも言われており、その特徴を生かしたアイスクリームスプーンが人気です。
冷凍庫から出したばかりで硬くて食べにくいアイスクリーム。
皆さんは、どうされていますか?
室温で柔らかくなるまで待ってから食べる、という方も多いのではないでしょうか。
そんな時は、こちらのアイテムがおすすめです。
このアイススプーンは、手の熱がスプーンを通してアイスに伝わり、すくいやすくなるという優れもの。
日本製の安心品質です。
海外の方へのちょっとしたお土産やにも、喜ばれそうですね。
※強い力を加えたり曲げると、破損・劣化の恐れがございますので十分にご注意ください。
謎多き写楽の代表作
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美術に詳しくない方も、この浮世絵なら人生で一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
寛政6年(1794年)5月河原崎座で上演された演目「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」の中で三代目大谷鬼次が演じた「奴江戸兵衛」を描いた作品です。
「大首絵」という、上半身を大きく描いた絵が特徴です。
江戸時代の浮世絵師、東洲斎写楽は彗星のごとく現れて10か月で消えていった、謎の人物。
200年以上たった現在、その人気は衰えることはありませんが、当時は斬新で受け入れてもらえなかったよう。
というのも、デフォルメを駆使し、目のシワや鼻、口の形など、顔の特徴を誇張して描いた役者の似顔絵は、表情やポーズも大胆!
それまでに無かったユニークな作風でした。
決して絵がうまいわけではなく、この作品も良く見ると両手のバランスも崩れているのですが、写楽の人気はこの「手」の表現にあるとも言われ、見る人に強いインパクトを与えます。
作品
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東洲斎写楽
「三代目大谷鬼次の江戸兵衛(さんだいめおおたにおにじのえどべえ)」
大判錦絵
江戸時代・寛政6年(1794)
東京国立博物館
作者
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東洲斎写楽 Toshusai Sharaku(生没年不詳)
江戸時代中期の浮世絵師。主に歌舞伎役者の似顔絵を描いた役者絵と、力士の似顔絵や土俵入りなどを描いた相撲絵などの浮世絵を手がけました。1794(寛政6)年5月、江戸三座の夏興行に取材した役者大首絵28図で鮮烈なデビュー。わずか10ヶ月の期間に、140数点に及ぶ浮世絵を版行した後、忽然と姿を消しました。 個性を強調した独特な人物表現で、海外でも高い評価を得ています。その正体は長い間議論されており、謎に包まれた浮世絵師です。
名プロデューサーに見いだされて鮮烈デビュー
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無名だった写楽の作品は、全て蔦屋重三郎の店から出版されました。
蔦屋重三郎は、江戸時代きっての名プロデューサー!
葛飾北斎も同じ版元からデビューしています。
が、写楽の扱いは別格。
当時無名の新人だったのにもかかわらず、雲母摺(きらずり)という黒い雲母(うんも)を用いた背景の豪華な版画手法で制作し、サイズも大判。
北斎ですら、小さなサイズからスタートしたのに…です。
まさに今でいう、無名ながらも名プロデューサーに見いだされ、華々しくデビューする「大型新人アイドル(!)」のよう。
蔦屋重三郎は、写楽に光る何かを感じたのでしょうか。
しかし、正当な評価は、100年後の大正期に入ってから。
悲しいかな、時代を先取りしすぎていたようです。
写楽の正体は
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謎多き、東洲斎写楽。
長らく、その正体が研究されていましたが、近年は「斎藤十郎兵衛(さいとうじゅうろうべえ)」ではないか、という説が有力といわれています。
1763~1820年、57年間生きた阿波国(徳島県)蜂須賀家お抱えの能役者です。
「東洲斎」を並び替えると、
斎、東、洲(さい、とう、じゅう) と読めるとか!?
しかし、写楽の詳細を書き残した記録は何もなく、そのことも実に謎です。
武士の身分だった能役者が、副業しているなんて知られたらマズいからなのか…、それとも…。
とにかく、大きな秘密を抱えていたことに違いはありません。
約10か月という短期間もの間に大量の作品が制作されていたり、そんな中で初期と後期でがらりと作風が変わっていたり、不可思議なことは多い。
そもそも、能役者がこんなに上手に描けるのか!?
蔦屋重三郎は、なぜこんな無名の新人作品のデビュー&大量出版に力を入れたのか!?
(実は、有名絵師の覆面ペンネームではないのか!?)
そして、なぜ忽然と姿を消したのか…
謎は深まるばかりです。
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