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SOLD OUT
作品名:叫び
サイズ:約12.5cm
素材:マグネット付き指人形
可愛いミニパペット
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小さなお人形のこの子は誰でしょう。
それは、エドワルド・ムンクの「叫び」です。
デフォルメされたフォルムはなんだかキャラクターのようで、親近感がわきますね。
頭の部分に磁石が入っていて、冷蔵庫やホワイトボードに貼ったり、ちょっとしたお部屋の飾りにもできるこのミニパペット。
とぼけた表情で、見ていると思わずくすっと微笑んでしまうようなお顔です。
指人形として、お子様とも遊べますよ。
叫んでいるわけではない!?
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人物が口を開けて、叫んでいるように見えるこの作品。
実は、頬を抑えて叫んでいるのではなくて、耳をふさいでいるのです。
何故耳をふさいでいるのか…
それは、ムンクが感じた幻覚によるものでした。
日記には、その時の体験が記されています。
「私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」
つまり、この人物が叫んでいるわけではなく、「自然を貫く果てしない叫び」に怖れ、恐怖から耳をふさいでいる姿が描かれている、それがこの絵画なのです。
実は、1994年と2004年の二回、「叫び」は盗難被害にあいました。
無事に美術館に戻ってきましたが、泥棒をも魅了する何かがあるのでしょうか。
作品
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叫び
The Scream 1893年
オスロ国立美術館蔵
作家
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エドヴァルド・ムンク Edvard Munch (1863-1944)
ノルウェーの国民的画家。今や世界中に知られる「叫び」を描いた西洋近代絵画の巨匠。若くして家族の「死」を続けて体験し、そこから感じられる暗澹たる不安な感情を表現し続けました。独創的な画風で人間の内面を表現することを模索し、その作品に対して多くの批判を受けながらも、波乱万丈の人生の中で、晩年まで数多くの作品を残しました。
作品に影響を与えた幼少期
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1863年にノルウェーで誕生しました。医者であり、気難しい性格の父に、厳しく育てられました。
ムンクは5歳で母親を結核で亡くし、その9年後、14歳のときに母代わりだった姉もまた同じ結核で亡くしました。
ムンク自身も体が弱く、彼の中で渦巻く病や死への不安が、生と死を強く意識する要因となります。
それに伴い、厳格的なクリスチャンの父に悩まされた幼少期の抑圧された生活への葛藤が、後の彼の絵画作品に大きな影響を与えることになりました。
画家としての歩み
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1879年より工業専門学校で技師の勉強をするが、画家を志して退学。1880年、ノルウェー王立絵画学校(現・オスロ国立芸術大学)に入学。ムンクは画家として歩み始めました。
1889年から、パリに留学。パリでは、ロートレック、ゴッホ、ゴーギャンなどの作品に出合い、激しい表現や表現による活力を描くことを模索しはじめました。ゴーギャンの影響で版画制作もはじめましたが、父を亡くしたことで精神的不調が生じ、不安定な時期を過ごすことになりました。
ムンク事件
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ムンクの作品は、初期から度々激しい非難を浴びていました。
そんな中、1892年ベルリン美術協会の招待を受けて、ベルリンで個展を開催します。
「接吻」「生命のフリーズ」などムンクを象徴する作品を展示しましたが、教会内部において批判の声が多く上がり、論争を引き起こしたことで、わずか一週間で閉鎖となりました。
一連の流れは「ムンク事件」と呼ばれ、この事件によりムンクの名前はヨーロッパ中に広まります。
彼の個展が各地で開催されるきっかけとなり、賛否両論の中にも愛好者が増えることになりました。
代表作「叫び」が誕生
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1890年代は、ムンクの代表作品が多く発表されました。その時代は、フランスではアール・ヌーヴォー、ドイツ、オーストリアではユーゲント・シュティールと呼ばれる芸術運動が起こり、「世紀末芸術」と呼ばれている時代です。そんな時代の中、ムンクは目に見えない「心の内部を表現する」ことに注力しました。
特に、1893年に描かれたノルウェーの国立美術館が所蔵する「叫び」は、世界中で多くの人が目にする作品となりました。ムンクが30歳のときでした。
同じモチーフを繰り返し描く中で、「叫び」も全部で5点ほど存在していると言われています。
1893年に制作した油彩絵画作品が一番有名ですが、同じ題名、同じ構図で1893年と1895年にパステル、1895年にリトグラフ(版画)、1910年(不詳)にテンペラにて描いています。
「愛」と「死」、それらがもたらす「不安」をテーマとした「生命のフリーズ(フリーズ・オブ・ライフ)」と呼ぶ連作があり、「叫び」はそのうちのひとつとなります。
ムンクの変化と晩年
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キャリアを積みつつ、次第に評価を得られるようになりましたが、精神病の妹の入院や、医師である弟の死によって、精神的に不安定になり、1908年コペンハーゲンの精神病院で療養しました。
回復すると、画風や主題に変化があり、青年期とは対照的な穏やかな日々を過ごす中で、色鮮やかで穏やかさを感じさせる、健康的で明るい作品なども手掛けるようになりました。
ムンクは晩年までコンスタントに作品を残し、旺盛に制作を続けた結果、ノルウェーやフランスから勲章も受け、これまでの功績が認められるようになりました。世紀を跨いで60年間もの年月、画家としての人生を歩んだムンクは、ナチスから退廃芸術と言われ、美術館から撤去されるという戦争の第二次世界大戦が終戦する前年、80歳の人生に幕を閉じました。
遺言によって、手元に残した多くの作品らはオスロ市に寄贈され、その後ノルウェーの首都にあるオスロ市立ムンク美術館に、世界最大のコレクションが収められることになりました。
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