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2022/07/08 10:26



本格的な夏がやってきました。
名画の中で夏らしい作品と言えば、ゴッホが描いたこの「ひまわり」を挙げる人も多いのではないでしょうか。
花瓶に生けられた数本のひまわり。
1888年8月から1890年1月にかけて、ゴッホが南仏のアルルに滞在している時期に描かれたものです。
大胆で鮮やかな色彩と感情的で独特のタッチで、ひまわりのもつ情熱を感じる作品ですが、太陽のように夏を彩る花は、見ているだけでパワーをもらえるようです。
そんなゴッホの名作、「ひまわり」にまつわるストーリーをご紹介します。

ゴッホの夢見たユートピア | ゴーギャンと「ひまわり」

ゴッホは、夢見ていました。
多くの仲間たちと集い、ともに制作するユートピアを。
1888年、南フランスのアルルへ移住したゴッホは、通称「黄色い家」を共同アトリエとし、
そのユートピアを実現させようと、弟テオを通して何人かの画家に「アルルに来てほしい」と手紙を送りました。

フィンセント・ファン・ゴッホ「黄色い家」1888年 ファン・ゴッホ美術館蔵

しかし、唯一応えてくれたのは、ゴーギャンだけ。
ゴッホは、きっとゴーギャンが到着することを心待ちにし、共同生活への期待に心躍らせていたことでしょう。
「ひまわり」は、そんなゴーギャンの部屋を飾るためを制作した、と言われています。
明るい南フランスの太陽のような向日葵は、ユートピアの象徴となり、
歓迎の花束を贈るようなゴッホなりのおもてなしだったのかもしれません。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「ファンゴッホの寝室」1888年 ファン・ゴッホ美術館蔵
ゴッホが暮らした家の2階の部屋を描いたもので、絵の左側の扉はゴーギャンの部屋につながっていたとされています。


そして、ゴーギャンは1888年10月23日に到着。
「フィンセント(ゴッホ)の作風を本質的に表した完璧な一枚」と評したほど、
「ひまわり」を大そう気に入ったそうです。
しかし、二人の友情は長くは続かず、度重なる衝突の果てに、共同生活は約2か月で破綻を迎えます。
ゴッホはあの有名な耳切事件を起こし、ゴーギャンはアルルから去っていきました。

ただ、その濃密な期間はお互いに強い刺激を与え、その後の作品に強い影響があったことが見て取れます。
ゴーギャンも、ゴッホが向日葵を描く姿をキャンバスに残していますが、
ともに制作意欲に満ちていた在りし日の様子が目に浮かぶようです。
ここには、ゴッホが夢見、果たせなかったユートピアの片鱗があり、今も私たちの胸に響きます。

ポール・ゴーギャン「ひまわりを描くフィンセント」1888年 ファン・ゴッホ美術館蔵


名作「ひまわり」は7点も存在する!?

実は、同じような構図の作品が、7点も存在することをご存じでしょうか。
よく見ると、向日葵の本数やトーンが異なっています。

7点のうち、よく見ると似ているものがありませんか?
実際に、ゴーギャンを迎えたときに出来上がっていた作品数は最初の4点。



④ナショナルギャラリーの作品は、ゴッホ自身が気に入った③ミュンヘン作品をもとに制作した作品と言われていますが
ここまででお出迎えしたのですね。

⑤は、ちょうど耳切事件の頃。
その後、精神病院に行ったゴッホが「黄色い家」に戻り、
⑤東京作品を模写した⑦アムステルダムの作品を、
それと同時期に、③ミュンヘン作品を模写した⑥フィラデルフィアの作品を制作したとされています。


日本にある「ひまわり」と、日本で失われた「ひまわり」

7点のうちの1点は、日本の「SOMPO美術館」にあります。
1987年3月30日、ロンドンで行われたオークションで、
目玉として出品されたゴッホの「ひまわり」を日本の保険会社が落札しました。
落札価格は、2250万ポンド。
当時の為替レートで約53億円と、記録的な価格で世界を驚かせました。
バブルを象徴するようなジャパンマネーです。

実は、ゴッホが描いたとされる2番目の作品、
紺色の背景に5本のひまわりが描かれた「ひまわり」も、かつて日本にありました。
当時、ロダン、セザンヌ、ゴッホ、マチスなど西洋美術を紹介していた文芸雑誌「白樺」から派生した白樺派が、
美術館設立を考えていた頃、中心人物であった武者小路実篤によって作品購入を依頼された実業家の山本顧彌太。
彼が、1920年(大正9年)に、スイスにて7万フラン(当時の為替レートで約2万円
現在の価格に換算すると約2億円)で購入していたのです。
美術館設立の構想が頓挫したことにより、それ以降は兵庫県芦屋市にある山本の自宅に飾られていました。
しかし、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月6日、広島原爆の同日に、
アメリカ軍の空襲(阪神大空襲)を受けて焼失してしまいます。
失われた作品は「芦屋のひまわり」と呼ばれ、幻の名画となってしまいました。

2014年、徳島県「大塚国際美術館」が原寸大の陶板で再現しましたが、
もし残っていたら…と思うと、悔やまれますね。


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