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作品(パッケージ):泣く女/鏡の前の少女
サイズ(パッケージ):3.5×5.5×1.8cm
素材:紙
20種類 各1枚
※こちらのシールは、切手として使用できません。ハガキ・封筒に貼っても郵送できません。
絵画シールをコレクション
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マッチ?切手?いえいえ、こちらはシールです。
切手と見間違うような、オシャレなデザインのシールが、可愛らしい小ぶりなマッチ箱に収められています。
箱を開けると、たくさんの絵画シールが!
一枚ずつ異なった作品が、見る人を楽しませてくれますね。
「ちょっとずついろんなものが欲しい!」という乙女心をくすぐるような、ミュージアムショップでも人気のアートグッズです。
手帖やノートに貼って、こっそり自分だけの美術展をディレクションしちゃったり!
他の作家と合わせて、コレクションするのもいいですね。
作家
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パブロ・ピカソ Pablo Picasso(1881 - 1973)
1881年スペインのマラガに生まれ、生涯の大半をフランスで過ごした画家。ジョルジュ・ブラックと共に、対象を多角的に描写する技法キュビスムの創始者。現代美術に大きな影響を与え、人類史上最も成功した画家とも言われています。アッサンブラージュ彫刻の発明、キュビスム追求の末のコラージュ再発見など、幅広く創造的な芸術活動を行ったことで知られています。作風が目まぐるしく変化する画家として知られており、それぞれが「〇○の時代」と呼ばれるようになりました。恋多き男性であり、作品にも影響されています。
代表作は、キュビスムの原点とも言われる「アヴィニョンの娘たち」(1907)や、ドイツ軍の激しい空襲を受けたスペインの都市ゲルニカを描いた「ゲルニカ」(1937)。生涯で約1万3500点の絵画、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であると「ギネスブック」に記されています。
キュビズムとは
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20世紀初めのパリで、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって生み出された、新たな美術表現の試みのことです。
一つの対象を固定した一つの視点で描く従来の遠近法(一点透視図法)ではなく、異なる複数の視点からとらえたイメージを一つの絵の中に集約し、表現しようとしました。
それまでの西洋美術界では当たり前とされていたルールを根底から覆す、革新的な技法でした。
断片化された平面として再構成する独自の表現方法を確立します。
キュビズムは、ブラックが描いた風景画が「小さなキューブ(立方体)による絵のようだ」と、評されたことが語源といわれています。
時代ごとに変化する作風
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作風が変わることで有名なピカソですが、それぞれの時代に名前が付けられ、区別されています。
1901-1904青の時代
10代後半から、親友カサヘマスの自殺の影響で、薄暗く陰気な青を主に用いた暗く物静かな作品が続きます。
1904–1906ばら色の時代
20代も半ば、人生で初めての恋人フェルナンド・オリヴィエをモデルにしていた時代。エネルギーにあふれ、オレンジやピンクを多用した明るい色調の作風が続いた時代です。
1907–1909アフリカ彫刻の時代
20代後半以降は、キュビズムの原点となる絵画「アヴィニョンの娘たち」が制作された時代。アフリカ彫刻、古代イベリア彫刻などの影響がみられます。
1909-1912キュビスムの時代
セザンヌに強い影響を受けたセザンヌ的キュビスムの時代(1909)、ジョルジュ・ブラックと共にキュビズムを創始した分析的キュビスムの時代(1909-1912)、そしてファインアートで初のコラージュ技法を用いた総合的キュビスムの時代(1912-1918)に分けられます。
1918-1925ピカソの新古典主義の時代
ルネサンスやバロックの名品を目にする機会が重なったことが影響して、古典的で写実的な描法を次々と生み出していく時代です。
1925-1936シュルレアリスムの時代
シュルレアリスム(超現実主義)の影響を受けた時代です。グループ展にも参加しました。
ピカソの集大成ともいえる晩年の作品は、過去の巨匠の作品のオマージュを手がけたり、油彩・水彩・クレヨンなど多様な画材でカラフルかつ激しい絵を描きました。
しかし、それらは世間からあまり評価されませんでした。
多くの批評家から時代遅れの芸術家の「妄想」や「落書き」であると酷評されます。
しかし、ピカソは批評を一切気にせず、「歳をとってからやっと子どもらしい絵を描くことができるようになった。」と満足していたといわれています。
ピカソの本名はとーーーっても長い
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ピカソの本名は、とても長いことをご存知でしょうか。
出生証明書によると、「Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno Cipriano de la Santísima Trinidad Ruiz Picasso(パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・チプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソ)」とあります。
洗礼名は、「Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Crispiniano de la Santísima Trinidad Ruiz y Picasso(パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ)」。
長くなったのは聖人や親類縁者の名前を並べたため、と言われています。
舌を噛みそうですね…。
ピカソ本人も、死ぬまで自分の名前を正しく言えなかったとか!?
画家として活動を始めたピカソは、はじめ「パブロ・ルイス・ピカソ」と名乗っていたそうですが、ある時期からルイス(父の姓)を省き、「パブロ・ピカソ」と名乗るようになったそうです。
「ピカソ」は、母の旧姓。
何故、母の旧姓を名乗っていたのかは謎であり、いくつもの憶測を呼んでいます。
「モナ・リザ」盗難で逮捕された!?
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1911年8月22日、ルーブル美術館所蔵の世界的名画「モナ・リザ」が何者かによって盗まれる、という事件が起こりました。
この日は、美術館の休館日でもあり、週に一度の館内修理の日で人の出入りも多く、犯人にとっては絶好の機会だったという。
捜査の末、パリ警察が容疑者として逮捕したのは、なんと当時30歳だったピカソと、その友人で詩人のギヨーム・アポリネール!
実は、アポリネールの同居人が窃盗の常習犯で、過去にもルーブル美術館から窃盗した彫刻をピカソに売りつけていた過去があったからでした(それが盗品と知ったピカソは美術館に返しました)。
しかし、2人は証拠不十分で釈放され、「モナ・リザ」も2年後にイタリアで発見。
ルーブル美術館の塗装職人だった真犯人の逮捕とともに、無傷で美術館へ戻されることになりました。
生前もっとも稼いだ画家
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現在、巨匠と言われているような有名な画家でも、生前はなかなか評価されなかった方も多いのが現実です。
実際ゴッホは生きている間に1枚しか売れなかったといわれている中、ピカソは生前最も成功した画家としても知られています。
ピカソは「青の時代」と「ばら色の時代」で既に成功を収めており、20代にしてかなりの売れっ子。
死後に鑑定されたピカソの遺産は日本円で、なんと約7,500億円!
生前に最も稼いだ芸術家だったといわれています。
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