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作品名:メーダ・プリマヴェージの肖像
サイズ:リング部分3.5cm 長方形1.2×7.2 cm 円形3cm
素材:本体使用紙 NTパイル
付属金属 サージカルステンレス
折って作る紙のアクセサリー
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一見ポストカードにも見える、このミュージアムグッズ。
点線に沿って切り取り、折り曲げ、付属の金具を付けると…なんと、ピアスになるんです。
まさに、絵画作品を切り取ったアートなアクセサリー。
作品のタッチが、アクセサリーのデザインに素敵な効果をもたらしていて、パッと見てそれが名画だとは気付かないくらい、イマドキのピアスに。
この絵画からは、八角形デザインと長方形デザインの2種類が切り取れます。
2種類の飾りは簡単に付け替えることもできますし、お手持ちの付属金具に付けてしまえば、2セット分作れちゃいますね。
折り曲げ方でパーツの表情が変わり、アクセサリーの雰囲気も変化します。
自分の好みに作れるなんて、それもまた楽しいですね。
素材は紙ですが、NTパイルといってプラスチックのような感じで、普通の紙より丈夫です。
風になびけば軽やかで、涼しげな耳飾り。
ちょっと個性的で、それでいて可愛い。
さりげなくアートを身に着けて、おしゃれしてみませんか?
クリムトデザイン
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この絵画は、19世紀にオーストリアで活躍した画家クリムトが描いた、10歳の女の子の肖像画。
モデルは、クリムトの有力なパトロンだった銀行家オットー・プリマヴェージ夫妻の娘です。強いまなざしで真っすぐ見つめ、仁王立ちのような全身像は、クリムトでは珍しいポーズですね。
クリムトは、光り輝く金箔が印象的な煌びやかな作品が広く知られていますが、この肖像画は晩年に向けて金箔を使わず鮮やかな色彩で描く「色彩様式」へと移行しはじめた頃の作品です。
丁寧に描かれた顔とは対照的に、服や背景などは艶やかなタッチで、装飾性が際立つ華やかさを備えています。
彼女の母親も、この翌年に肖像画をクリムトに描いてもらっており、日本の豊田市美術館に収蔵されているんですよ。
組み立て方
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①シートからパーツを4つ切り離してください。
②付属のフープ金具を通す穴の位置に注意して、台紙の図面通りにミシン目を山・谷折りにしっかり折ってください。
③折り目を好みの加減(※伸ばすように広げていくと綺麗な形になります)に調整します。
④付属のフープ金具を通して完成です。
使用上のご注意
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本製品は金属を使用しているため、体質によってかゆみやかぶれが生じる場合がございます。皮膚に異常を感じた際には、すぐにご使用をお止めいただき、皮膚科専門医にご相談ください。
また、繊細な作りのため、強く引っ張ったり強い衝撃を与えると破損の原因となりますので、ご注意ください。
NTパイルとは
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厚さによって変わらない透過性と強さをあわせ持つ、ポリエステルベースの透明紙です。
プラスチックのような手触りで、裂けにくく、折り曲げても白化しません。温度・湿度変化による伸縮がないため、カール、波打ちがありません。
【作品】
グスタフ・クリムト
『メーダ・プリマヴェージの肖像』1912-13年
Mada Primavesi
メトロポリタン美術館蔵
■グスタフ・クリムトGustav Klimt(1862-1918)
19世紀末、ウィーンで活躍したユーゲントシュティール(象徴主義)を代表するオーストリアの画家。ウィーン分離派というグループを立ち上げ、主要メンバーの一人として活躍しました。絵画、壁画、スケッチ、その他さまざまな芸術作品を残しましたが、中でもクリムトの全盛期とも言われる「黄金様式」の金箔を用いた煌びやかな作品が有名です。画風は、日本美術からも影響を受けたと言われ、装飾的な独自の絵画表現で、一世を風靡しました。
クリムトは、主に「女性」を題材とした多くの作品を残しています。その絵画の中の女性は官能的で美しく、ファム・ファタル(宿命の女)を題材とした絵も多く描きました。クリムトが生涯残した作品(油彩・未完含む)は、220点あまりとされています。
ウィーン分離派の設立
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ウィーン郊外のベル・エポックに、ボヘミア出身の金銀細工師の家に生まれ育ちました。
14歳で美術工芸学校に入学し、21歳まで在籍しましたが、その才能は周囲からも認められるほどでした。
クリムトは、同じ学校で学んだ2歳違いの弟や仲間とともに「芸術家カンパニー」を構え、公共建築の内部装飾を主に手掛けていました。
途中、父や弟を亡くし、悩みながらも、仲間と活動していましたが、転機となったのは、クリムトが35歳になる1897年、保守的で伝統的な「ウィーン美術家協会」を脱退し、新たな芸術を探し求める「ウィーン分離派」を結成したこと。
そして、その初代会長になったことです。
「分離」とは、“伝統的・保守的な芸術からの分離”という意味を持ち、独自路線を追い求め始めたようです。
豪華絢爛な金箔「黄金様式」と晩年
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1900年代は、まさにクリムトの「黄金時代」。
クリムトの代名詞のような煌びやかな金箔が印象的な「黄金様式」が確立され、抽象的な模様と、装飾的で豪華絢爛な作風の絵画が花を咲かせます。
「ユーディットⅠ」、「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」や「接吻」など、クリムトと言えばこれ!というような代表作の多くがこの時期に誕生しました。
しかし、認められる作品ばかりではなく、現存する最大の壁画として知られる「ベートーヴェン・フリーズ」に対する酷評や、型破りな作品として物議をかもした、ウィーン大学講堂の天井装飾画「哲学・医学・法学」(のちに戦争により焼失)のスキャンダルもあり、1905年に意見の対立で分離派を脱退。
翌年44歳でオーストリア芸術家連盟を結成しました。
1910年代には作品も少なくなり、その作品からは金箔が消え、代わりに鮮やかな色彩を用いた画風へと変わっていきました。
流れゆく新しい時代に対し、自身を憂い、悩んでいた様子が垣間見える記録も残っているそうです。
第一次世界大戦も集結する1918年、病に倒れ、55歳で生涯を閉じました。
生涯愛した女性 エミーリエ
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クリムトの作品にも、モデルとして登場する彼女。クリムトは生涯独身を貫きましたが、最愛の伴侶といわれているのがエミーリエ・フレーゲ。12歳年下の彼女とは、弟の妻の妹として出逢い、二人は恋に落ちました。
クリムトが死の床で呼んだのもエミーリエの名だったようです。
しかし、クリムトもエミーリエも生涯独身を貫きました。
実は、エミーリエは流行のブティックを経営したり、服のデザインを行うなど、バリバリのビジネスウーマン。
経済的に自立していたからこそ築けた、自由な関係だったのかもしれませんね。
しかも、二人はプラトニックな心の恋愛関係だったとも言われています。純愛!
しかし!その反面、クリムトのアトリエは多くの女性たちで囲まれた派手な環境だったようで、クリムトの死後、名乗り出る愛人たちが続出。
少なくとも14人の私生児が判明したとか!?
ジャポニズムの影響
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「ジャポニズム」は、19世紀後半から20世紀初頭にかけてヨーロッパ全域、さらにはアメリカをも席巻した一大ブームでした。
1900年の分離派展は、「日本展」が開催されたほど。「日本展」には、ウィーンの実業家が収集した700点近い日本美術品が出品され、日本美術に興味を持っていたクリムトもこの展覧会の開催に尽力したそうです。
クリムト自身も、日本の着物、浮世絵などを集めていたようですね。
クリムトは、作品も日本文化に影響されたと言われていますが、モネやゴッホのようにジャポニズムを直接的に描いたものはなく、額縁や画面に金を用いるというアイデアや落款のようなサイン、装飾モチーフや平面的な構成など、潜在的なものに限られています。
クリムトはその異国文化を自分の中で消化し、自分の独自スタイルを模索していた、ということかもしれませんね。
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